東京高等裁判所 昭和42年(ネ)2439号 判決 1969年1月30日
控訴人 駿河観光株式会社
被控訴人 浅見伊造
主文
1 原判決を次のとおり変更する。
2 控訴人は被控訴人に対し、振出人控訴人、金額金二〇〇万円、支払期日昭和四三年四月三〇日、支払地・振出地とも沼津市、支払場所株式会社静岡相互銀行、振出日昭和四一年八月二日、受取人遠藤建設株式会社の約束手形一通に内金一一六万円の支払があつた旨の記載を得、かつ金一一六万円の受取証書の交付を受けるのと引換に、金一一六万円を支払え。
3 被控訴人のその余の請求を棄却する。
4 訴訟の総費用はこれを二〇分し、その一を被控訴人の負担とし、その余を控訴人の負担とする。
事実
一、控訴代理人は「原判決を取消す。被控訴人請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた(なお被控訴代理人は当審において遅延損害金の請求を取り下げた。)。
二、被控訴代理人は、その請求の原因として次のとおり述べた。
(一) 被控訴人は、土木建築工事請負業者であるが、訴外株式会社遠藤建設から同会社(以下訴外会社という)が控訴人の注文で請負つた沼津市上土字上横橋一二二番地の沼津駿河ビルの建築工事のうち地下ボイラー室約四〇坪の増築工事の下請工事を代金一六八万円で請負い、訴外会社に対しその残代金一一六万円の債権を有していたので、静岡地方裁判所沼津支部にその請求訴訟(同裁判所昭和四一年(ワ)第三三七号工事代金請求事件)を提起し、昭和四一年一一月一一日被控訴人勝訴の判決言渡があり、同判決は訴外会社が控訴せず確定した。
(二) 一方訴外会社は、控訴人に対し昭和四一年八月二日現在右ビル建築請負工事の残代金二七三一万九二三八円の債権を有し、これを十一回に分割し、昭和四三年四月から同年九月まで毎月末日限り各金二〇〇万円づつ、同年一〇月から昭和四四年一月まで毎月末日限り各金三〇〇万円づつ、昭和四四年二月末日金三三一万九二三八円それぞれ支払を受ける約であつた。(なおその支払のために振出された約束手形の交付を受けた。)
(三) そこで被控訴人は、右(一)記載の判決の執行力ある正本に基ずき、訴外会社を債務者、控訴人を第三債務者として、右(二)記載の訴外会社の控訴人に対する債権のうち昭和四三年四月末日支払われるべき金二〇〇万円のうちの金一一六万円につき、東京地方裁判所に債権差押及び転付命令の申請(同裁判所昭和四一年(ル)第四七二二号債権差押及び転付命令事件)をしてその命令を得、同命令正本は昭和四一年一二月二三日訴外会社に、同月二一日控訴人にそれぞれ送達された。
(四) よつて、被控訴人は、控訴人に対し右差押及び転付にかかる金一一六万円の支払を求める。
三、控訴代理人は、答弁及び抗弁として次のとおり述べた。
(一) 控訴人が訴外会社に建築工事を請負わせ、訴外会社に支払うべき請負工事代金があつたことは認めるが、右代金は昭和四一年八月二日支払を終えており、被控訴人主張の債権差押及び転付命令の送達があつた時には、右代金債務は存在しなかつたのである。
すなわち、控訴人は、昭和四一年一月三〇日駿河会館の設備等の請負工事を訴外会社に依頼したところ、訴外会社が工事途中の同年五月頃倒産したので、訴外会社の債権債務の処理を一任された訴外会社の債権者全員で組織する債権者会議(委員長株式会社川岸一級建築士設計事務所代表取締役川岸一平)の代表と交渉した結果、控訴人が訴外会社に支払うべき工事残代金は金三〇〇〇万円であることが確認され、同年八月一日訴外会社、右債権者会議、右工事に関係した訴外会社の地元沼津市周辺の下請業者(被控訴人を含む)及び控訴人の四者間で、(イ)控訴人は訴外会社に右金三〇〇〇万円を支払い、訴外会社及び右債権者会議は、以後控訴人・訴外会社間に一切の債権債務のないことを承認する。(ロ)右金三〇〇〇万円のうち、(1) 金二七三一万九二三八円の支払に換えて次に述べる約束手形一一通を訴外会社あてに振出し、債権者会議はこれを配当にあてる。(2) 金二六八万七六二円については、控訴人か訴外会社の地元下請業者に対する債務を右金額の限度で引受け、これを地元業者にその債権額に応じて支払うとの結論に達した。そこで、控訴人は、同年八月二日右債権者会議の代表に、右(ロ)の(1) の金二七三一万九二三八円の支払に換えて、金額金二〇〇万円、支払期日昭和四三年四月三〇日、支払地・振出地とも沼津市、支払場所株式会社静岡相互銀行、振出日昭和四一年八月一日、受取人訴外会社(但し遠藤建設株式会社と表示)の約束手形一通のほか、支払期日を昭和四三年五月から昭和四三年二月までの各月末日とし、金額を昭和四三年五月から同年九月までの各月末日を支払期日とするものはいずれも金二〇〇万円、同年一〇月から昭和四四年一月までの各月末日を支払期日とするものはいずれも金三〇〇万円、昭和四四年二月末日を支払期日とするものは金三三一万九二三八円とし、支払地、振出地、支払場所、振出日及び受取人は前記と同じ約束手形一〇通、以上合計一一通の約束手形を交付したから、これによつて右金二七三一万九二三八円の請負代金債務は消滅した。
(二) 仮に右約束手形の交付が、支払に換えてされたものではなく支払のためにされたものであつて、従つて被控訴人の差押及び転付にかかる工事残代金債権がなお存在していたとしても、被控訴人は、訴外会社の控訴人に対する右債権を自己の債権として主張し得るにすぎないのであるから、前記昭和四三年四月三〇日を支払期日とする約束手形を控訴人に返還してからかあるいはこの手形と引換にでなければ、本訴請求をすることができない。そうでなければ、債務者は、既存債務と約束手形金債務との二重払を強いられる不合理となるからである。
四、被控訴代理人は、右抗弁に対し答弁として次のとおり述べた。
(一) 被控訴人は、控訴人主張の債権者会議には関係がなく、そこでいかなる合意が成立したとしても、これに拘束されるものではない。
控訴人主張の約束手形は、工事代金の支払に換えて交付されたものではなく、その支払のために振出交付されたものである。本件において、特に請負代金の消滅を合意した事実はなく、またその必要もなかつたのであつて、代物弁済として手形を振出交付したものと解すべき特別の事由は存しない。
もし控訴人主張のように前記差押及び転付にかかる債権が当事者間で不存在になつたとすれば、控訴人は信義則上被控訴人にその理由で対抗することはできない。本件工事の請負人は訴外会社であるが、事実上その工事は、被控訴人を含む地元沼津市及びその近郊の建築業者の下請によつてされたもので、これら下請業者は訴外会社の支払が悪く工事を中止しようとしたが、注文者である控訴人が頼むので控訴人を頼りに工事を進め、被控訴人も、下請の地下室が完成したが代金の支払がないので、その引渡を拒否していたところ、控訴人から訴外会社に支払う工事代金が多額にあるから心配ないといわれたので引渡したのであり、控訴人は、支払に換えて右約束手形を交付したとき、地元下請業者のほとんどが工事代金の支払を受けておらず倒産するような状況にあつたことを十分承知しておりながら、訴外会社と通謀して代金債権の消滅を図つたのであつて、著しく信義に反する行為というべきだからである。
(二) 次に、請負代金債権と手形金債権が併存する場合に、請負代金の支払を受ける際引換に手形の返還を要するものではない(広島高等裁判所昭和二七年一〇月一四日判決)。控訴人は、前記債権差押及び転付命令の送達を受けた後、訴外会社と接渉する時間が十分あつたのに何の措置もとらなかつたのであるから、二重払の危険があるとしても、それは控訴人において負担するのが当然である。
五、(立証省略)
理由
一、訴外会社が控訴人に対し昭和四一年八月一日現在請負工事残代金二七三一万九二三八円(但し総額金三〇〇〇万円のうち訴外会社が支払を受ける分として)の債権を有していたことは、控訴人の自認するところであり(右工事の内容につき、被控訴人は沼津駿河ビルの建築工事といい、控訴人は駿河会館の設備等の工事というのであるが、弁論の全趣旨によれば、それぞれ別個の工事を主張しているのではなく、同一の工事を指しているものと認められる)、被控訴人が、訴外会社に対する下請工事残代金債権金一一六万円の支払請求を認容した確定判決(静岡地方裁判所沼津支部昭和四一年(ワ)第三三七号工事代金請求事件)の執行力ある正本に基ずき、訴外会社の控訴人に対する右債権のうち金一一六万円について差押及び転付命令(東京地方裁判所昭和四一年(ル)第四七二二号債権差押及び転付命令事件)を得、同命令正本が昭和四一年一二月二三日訴外会社に同月二一日控訴人にそれぞれ送達されたことは控訴人において明らかに争わず、また控訴人が訴外会社に対し、同年八月二日、上記請負工事残代金債務金二七三一万九二三八円の支払に関し、控訴人主張の約束手形合計一一通を振出したことは、被控訴人において明らかに争わないから、いずれも自白したものとみなす。
二、控訴人は、右約束手形は残代金債務の支払に換えて振出したものであつて、これによつて右債務は消滅したのであり、従つて前記債権差押及び転付命令の送達があつた時には、その対象とされた債権は存在しなかつたと主張する。
当審証人高木光明の証言及び控訴会社代表者本人尋問の結果により成立を認め得る乙第一号証は、訴外会社(但し遠藤建設株式会社と表示)及び債権者会議委員長(株式会社川岸一級建築士設計事務所代表取締役川岸一平)連署の控訴会社宛昭和四一年八月一日付御引渡書と題する書面で、その文中に「……現状有姿の儘御引渡しする事に妥結し、本日残代金として参阡万円の約束手形を受領出来る事になりましたことは誠に感謝に堪えません。就きましては、該件に関する債権債務一切の請求権が解決し、今後双方共本件に関する債権債務の無い事を承認致しますので御確認下さい。」との文言があり、控訴人の右主張に添うかのようであるが、当審証人高木光明の証言及び控訴会社代表者本人尋問の結果によれば、訴外会社が控訴人からの請負工事を約九〇パーセント仕上げたところで倒産したため、控訴人としては訴外会社との間で決済をする必要があつたが、訴外会社の社長遠藤実の行方が分らず同人に会えずにいたところ、訴外会社の委任状を持参した債権者会議委員長としての川岸一平が来たので、同人及びその代理人の高橋某と交渉をし、控訴人が訴外会社に支払うべき請負残代金の額を、控訴人側は少しでも少額にまた訴外会社等側は少しでも多額に決めようとしたが、結局その金額を金三〇〇〇万円とし、控訴人は約束手形を振出してこれを支払い、訴外会社は工事を未完成の現状のままで控訴人に引渡すことで話がつき、右乙第一号証が作成されるに至つたことが認められるのであつて、右川岸一平等が、控訴人振出の約束手形の交付を受けることによつて、訴外会社の請負残代金債権を消滅させることを了承したものとは到底考えられず、乙第一号証の趣旨は、控訴人が訴外会社に支払うべき請負残代金の額を金三〇〇〇万円と確定し、控訴人は同金額の約束手形を振出し、以後双方ともその金額について異議をいわぬこと及び訴外会社は工事を現状のままで控訴人に引渡すことにあつたと解される。そして、右約束手形の振出が特に支払に換えて振出されたと認め得る証拠はほかに何もないのであるから、その振出は、通常の振出すなわち支払のためにまたは支払の方法としてされたものというべきであり、この点の控訴人の主張は採用できない。
三、してみると、控訴人は訴外会社に対し、前記金二七三一万九二三八円を被控訴人主張のとおり一一回に分割して支払う債務があつたというべきであるが、被控訴人は、本件差押及び転付命令の対象とした債権は、訴外会社の右債権のうち昭和四三年四月三〇日支払われるべき金二〇〇万円のうちの金一一六万円であると自ら主張し、控訴人は、被控訴人から控訴人が主張する同日を支払期日とする約束手形の返還を受けてからかあるいはこれと引換にでなければ、被控訴人の請求に応ずる義務はないと主張する。
債権転付命令がその効力を生じたときは、債務者の第三債務者に対する債権がその同一性を失わずに債権者に移転するのであつて、債権者は被転付債権につき第三債務者に対して債務者と同一の地位を承継し、第三債務者は債務者に対抗し得た権利を債権者に対して主張することができる。また既存債務の支払のために約束手形が振出され、既存債務と手形債務とが併存する場合には、債務者としては二重払の危険を免れるため、既存債務の履行を請求する債権者に対して、特別の事情がない限り、手形と引換にのみ履行する旨の抗弁をし得るものと解すべきである(最高裁判所第二小法廷昭和三五年七月八日判決等参照)。
被控訴人は、控訴人が本件差押及び転付命令の送達を受けた後訴外会社と接渉しなかつたことをもつて、二重払の危険を控訴人が負担するのは当然であると主張するが、前認定のような乙第一号証の作成に至るまでの経過、本件転付命令により既に債権移転の効果が生じていること等を考慮すると、控訴人が訴外会社と接渉したからといつて、控訴人主張の約束手形の債務を免れ得たとはいえず、二重払の危険を防止できたわけではないのであるから、被控訴人主張の事情があつたとしても、これをもつて、控訴人の引換給付の抗弁を妨げるに足る特別の事情とすることはできない。
従つて、控訴人は、訴外会社の地位を承継した被控訴人に対し、二重払の危険を免れ得る限度において、控訴人主張の約束手形との引換給付を抗弁として主張できると解すべきところ、控訴人主張の約束手形の額面は金二〇〇万円であり、被控訴人が転付を受けた債権の券面額は右の一部である金一一六万円であるから、控訴人は被控訴人に対し、右約束手形の全部の返還を求めることはできず、手形法第七七条第一項第三号第三九条第三項の一部支払の場合の規定により認められた支払があつた旨の手形上の記載及び受取証書の交付を求めることができるにとどまるというべきである。
四、以上の次第であるから、被控訴人の本訴請求は主文第二項掲記の範囲で正当として認容し、その余の請求は理由がないからこれを棄却すべきであり、被控訴人の請求を全部認容した原判決を右の限度で変更することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九六条第九二条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 小川善吉 松永信和 小林信次)